作品シリーズ

■メインとなる長編作品

2013 砂場の砂鉄 2902
 
2016 一蓮托生
解説
2017 流星痕
解説
2018 君が袖振る
解説
2019 肉球を瞼にのせる
解説
2019 ねむりるり
解説
2020
往事渺茫 解説
2021
サヨナラ東京 解説

 

■一年半をかけた日本一周で撮影した写真を
 詩とともに提示していきます

2022
四畳半に花一輪 On YouTube 解説

 

■街猫を撮影した作品

2019
茶柱 解説


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作品解説


一蓮托生 (2016)

「一蓮托生」という言葉は、現代ではあまり良いイメージを持ちませんが、本来、仏教用語であり、死後、極楽浄土で同じ蓮の上に生まれることを指しています。
同じ信心で結ばれている者同士が、来世、極楽浄土で共に暮らそうと願うときに使う言葉です。
制作の切っ掛けとなったのは、この「一蓮托生」という言葉の本来の意味との出会いでした。
一時期、家族、恩人、友人、大切な人々が亡くなることが続きましたが、その時、何より辛かったのは、義父の旅立ちに残された義母の姿でした。
のちに私は「一蓮托生」という言葉に出会い、亡くなった人々はどんな所にいるのか、そして、その姿を想像しました。
「また会えるんだ」
そう思うだけで心が明るくなるのを感じました。
この経験は誰もが通る道です。大切な人を亡くして辛い時には、故人が笑顔で待っていてくれる姿を思い浮かべ、少しでも心が明るい方へ向かって欲しい。
その想いでこの作品『一蓮托生』を制作しました。
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流星痕 (2017)

「流星痕」とは、比較的明るい流星が通ったあと夜空に残る軌跡を指します。
前作『一蓮托生』では、仏教に根差した生まれ変わりの世界、極楽浄土を表現しました。
それに対して、この『流星痕』は、愛する人と今を生きる、この大切な時間が永遠に続いて欲しいという願いを表現した作品です。
『一蓮托生』のカラー構成に対して、『流星痕』はモノクロ構成としています。
これは、基本的に「将来」であったり、「自分でない何か」について、比喩的に表現する際にはカラーを使用しており、一方で、現実であり、実際に自分たちが歩いた道については、過去に点在する瞬間を表現するものとしてモノクロ構成としています。
作品タイトルは、愛する人と過ごす時間を流星、写真をその痕跡に例えて、『流星痕』と命名しました。
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君が袖振る (2018)

『君が袖振る』は、万葉集の「足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやに見もかも」「色深く せなが衣は 染めましを 御坂たばらば まさやかに見む」という和歌を詠んだ「防人に出る夫」と「残された妻」の二人に贈る作品です。
この和歌のそれぞれの意味は「西国に行く途中、足柄峠で袖を振ったならば、家に残った妻にも、はっきり見えるであろうか」「あなたが御坂を越えながら袖を振る時、鮮やかに見えるよう、あなたの衣を深く染めるのだったのに」というものです。
この夫婦は、現在の埼玉県行田市に住んでいました。
防人として夫の赴任する先は、当然、九州。
たとえ、任務自体は無事に終えられたとしても、家にまで帰り着ける人は多くありませんでした。
この二人が、もう一度会える保証はどこにもありません。
その時代の避けられない「運命」を受け入れ、数少ない言葉に深い愛をこめたこの歌。
お互いを慈しみあう二人の姿が心に浮かび上がり、涙が溢れました。
『君が袖振る』は、この夫婦の再会、幸福な結末を願って制作した作品です。
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肉球を瞼にのせる (2019)

作品名『流星痕』の続編にあたる作品です。
『流星痕』では、被写体を後ろ姿とすることで一定の抽象性を持たせましたが、この『肉球を瞼に乗せる』では、表情を含め、夫を被写体とした写真を軸に置くことで、より主観性を高めた作品としました。
このタイトルは、作家梶井基次郎の『愛撫』という短編小説の一文から着想を得ています。
子猫の柔らかく温かい足の裏を瞼にあてがい、爪を立てて逃げ去るまでのつかの間の休息を味わうという小説の内容は、この『肉球を瞼にのせる』のテーマである、刹那に過ぎ行く愛する人との時間、そして、いつか訪れる別れというものに共鳴しました。
梶井文学の持つ独特の暗さとユーモアへのオマージュ作品となります。
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ねむりるり (2019)

『ねむりるり』は、造語です。
「ねむり」は、その通り眠って、夢を見ている状態であり、「るり」は極楽浄土を構成する要素、七宝の一つである「瑠璃」。
この二つを合わせ、尊くも儚く消えてしまう宝物を表わします。
『一蓮托生』から始まった死生観を見つめる作品シリーズは、コロナによる環境と心境の変化によって、『ねむりるり』で一旦、完了となります。
ですが、写真を通して自分の心と対話し、人生の本質を学ぶという姿勢は後の作品にも引き継がれていきます。

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往事渺茫 (2020)

この作品は、コロナ禍の下で今までの仕事を継続するか、思い切って辞めるかを迷った挙句、「日本一周の旅に出よう!」という決断に至るその時期に生まれました。
制作完了から約2年が経ち、この作品を見直してみると、そこには、不安、希望、言葉に出来ない気持ちでごちゃまぜだった自分がいました。
そんな混乱の軌跡を表現するために、敢えて全101枚のランダムに見える写真を展示をしています。

今までの私の作品は、「大切なメッセージの下で写真を構成する」というものでしたが、『往事渺茫』では、伝えるべきメッセージを置き去りにしたままでした。
しかし、日本一周の旅を無事に終えた今、その想いを添えて作品を完成させました。

楽しい、悲しい、様々な出来事は、いつか遠い日々になる。
だから、今、一番不安で、困難な道だったとしても、あなたの心に正直な選択をしてください。
未来の自分が笑っている姿を思い描いて進んでください。
あなたが覚悟の一歩を踏み出す、この作品がそのきっかけとなれば嬉しいです。

「災禍の中、大きく人生の舵を切り、新しい旅に出た。
             だから、私は大好きな写真を手放すことなく、今日、ここにいる」
                                                写真家 加藤ゆか


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サヨナラ東京 (2021)

コロナ禍で仕事を失う危機に陥り、精神的にもどん底に落ちたところから、日本一周の旅に出る決意するまでの数か月間の感情の変化を表現した作品です。
不安と絶望の淵で「サヨナラだけが人生だ」という言葉に救われて、「別れは新しい世界への扉だ」と叫んだ私が人生を一歩踏み出す物語になっています。
写真はこのストーリーに沿ったシークエンスで提示し、一定枚数ごとのカラー、モノクロの発現比率の変化は、そのまま心模様の変化を表しています。
最悪の状況下、「逆転の発想」だけで自分たちを無理やり誤解させ、実際に行動してみれば、前に進みさえすれば、どこかにはたどり着く。これがベストの判断であったと今では身にしみて感じます。
外部要因による抗えない環境の変化は、足りない勇気の背中を押してくれる親友なのかもしれません。
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◆四畳半に花一輪 (2022)

『四畳半に花一輪』は、2020年7月13日にスタートし、2021年12月24日に終了した日本一周の旅で撮影をした多くの写真を行程ごとに十五章にまとめた長編作品で、詩とともに写真を提示していきます。
タイトルは、旅の始まりの地である青森県のとある宿で、女将さんが私たちに話してくれた言葉をお借りしました。
「家や高価なものが無くても、四畳半に花一輪飾って『きれいだね』って話ができる相手がいることが一番の幸せよ」
彼女のこの言葉は、私たちの旅のテーマとなり、作品のタイトルになりました。
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茶柱 (2019)

『茶柱』は、猫との出会いの瞬間を収めた作品です。 アレルギーで猫を飼えない私にとって、街で猫に出会えることは最高の幸せ。
その喜びを、茶柱が立った時の喜びに例えてタイトルとしました。
唱歌『茶摘み』の歌詞「夏も近づく八十八夜」から写真点数を八十八としています。
「八」は末広がりを表す縁起のいい数字。
後付けですが「我ながらグッジョブ」と満足しています。
この作品を見てくれた猫好きさんがハッピーになりますように!
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